恩送り食事会と「祈り」上映会
ペイフォワードモデルを採用した食事会(カルマキッチン)に参加させていただいた。
また、同時に行われていた「祈り ~サムシング・グレートとの対話~」の上映会にも参加させていただいた。
カルマキッチン
スタッフの皆さんのおもてなしの気持ちが嬉しかったな~
お料理も非常に美味しかったです!
カルマキッチンでは、ペイフォワードとか、恩送りとかの説明をしていただけるのだが、そもそも説明なんかが不要の社会にして行きたいな~
それにはまず、気付いた一人ひとりがそれが当たり前であるように行動し、それを共有していくしかないだろうな。
実際、友達を家に呼ぶとき、親戚の家に行くとき、殆どの人は対価や儲けは考えていない。
それらはすべてペイフォワード形式と言ってもいいんじゃないかな。そう、わりと当たり前なことなんだ。
それを家族や友達に限定する必要がないんじゃないかな?と自分は個人的に思っている。
「そんな事言っても、誰もやっていないし、、、」というのは簡単。
「自分が潤っていないから相手を助ける余裕はない」そんな話もあるかもしれない。
なんだか論理的なようだが、自分の感覚は逆だな。
自分が潤っていないほど、潤っていない人の気持ちが分かってくる。
そして、自分に出来る範囲のことでも何でもいいから手を貸したくなってくる、、、
それが自分に跳ね返ってくるかどうかなんてどうでもいいよ。いちいちそんなの考えないんじゃないかなぁ。
自分はいつも人にお世話になってばかりいる、、、、
だから、自分も人の助けになるようなことをしたい!
これは常日頃強く感じている。だからこそ自分は真面目に?働くというのには向いていないのだ。
通常、仕事と呼ばれるものは売り上げがコストを上回り、利益を生まない限り良しとされない、、、
「利益よりも大切なものがあるだろう!誰かを幸せにすることに対して対価を求めるのであればまだわかる。でも、相手の幸せよりもコストやら効率などの経済優先を余儀なくされるとしたら、それは自分はやりたいと思えない、、、」
自分は真面目に?仕事をするには、逆に真面目すぎる。
自分はお世話になってばかりだからこそ、人々のお役に立てることがしたいという気持ちが強い。
ただシンプルに、好きな人達(もちろん友人知人などに限定しない、すべての人々対象ね)の笑顔を見るために動きたい!
課題としては、理念が強すぎて収益をまるで無視しているために、農園以外の収益源を考えなくてはならないところかな。
しかしやはり頭にあるのは、、、
誰からもお金(や対価)を取らない、、、そして終には誰からもお金を取られない、、、
あれ?お金って何だっけ?
こんなストーリー展開を目指しているのだが、それの実現はいつかな、フフフ。
「祈り ~サムシング・グレートとの対話~」上映会
この映画は祈りについての科学的解析をしている。
自分は既に体感しているので説明は不要なのだが、体感したことがない人には科学的裏づけがあると助けになると思う。
でも、自分の経験からすると、一番重要なのは裏づけを探したり、求め続けるよりもまずは自分で試してみること!
そのフィードバックの繰り返しで見えてくるものがある。
映画では説明はなかったが、祈りと言うのは実は多くの人にとって難しい。
恐らく、「神様へのお願い」程度に認識している人も多いと思う。
それはそれでいいのだが、もしそのような認識だとすると、「まるで、願いなんてかなえてもらったためしがない!」と失望することになるだろう。
祈りというよりも「心」と考えればもっと楽なのだが、、
映画の中で心を科学的に解明しようとしている研究者の方が、やはり「科学を超えたなにかがある」とおっしゃっていたのが印象に残った。
結局は突き詰めていけば科学も宗教もスピリチュアルもなんでも同じだ。
「我々はどこから生まれたんだろう?」
こんなシンプルな問いから導き出される答えと同じものが、複雑な経路をとって示されるだけだ。
こういう「心」の働きに興味を持っている人は増えているようだ。
そういう人達が自分で心の働きを実感できるような体験をビヨンドでは提供して行きたいな♪
今回の食事会や上映会に参加させていただくことで、またまた暖かい気持ちを持つ人達に出会うことが出来たことに感謝!
呼んでくださったスタッフの皆様ありがとうございました。そしてお疲れ様でした!
また、同時に行われていた「祈り ~サムシング・グレートとの対話~」の上映会にも参加させていただいた。
カルマキッチン
スタッフの皆さんのおもてなしの気持ちが嬉しかったな~
お料理も非常に美味しかったです!
カルマキッチンでは、ペイフォワードとか、恩送りとかの説明をしていただけるのだが、そもそも説明なんかが不要の社会にして行きたいな~
それにはまず、気付いた一人ひとりがそれが当たり前であるように行動し、それを共有していくしかないだろうな。
実際、友達を家に呼ぶとき、親戚の家に行くとき、殆どの人は対価や儲けは考えていない。
それらはすべてペイフォワード形式と言ってもいいんじゃないかな。そう、わりと当たり前なことなんだ。
それを家族や友達に限定する必要がないんじゃないかな?と自分は個人的に思っている。
「そんな事言っても、誰もやっていないし、、、」というのは簡単。
「自分が潤っていないから相手を助ける余裕はない」そんな話もあるかもしれない。
なんだか論理的なようだが、自分の感覚は逆だな。
自分が潤っていないほど、潤っていない人の気持ちが分かってくる。
そして、自分に出来る範囲のことでも何でもいいから手を貸したくなってくる、、、
それが自分に跳ね返ってくるかどうかなんてどうでもいいよ。いちいちそんなの考えないんじゃないかなぁ。
自分はいつも人にお世話になってばかりいる、、、、
だから、自分も人の助けになるようなことをしたい!
これは常日頃強く感じている。だからこそ自分は真面目に?働くというのには向いていないのだ。
通常、仕事と呼ばれるものは売り上げがコストを上回り、利益を生まない限り良しとされない、、、
「利益よりも大切なものがあるだろう!誰かを幸せにすることに対して対価を求めるのであればまだわかる。でも、相手の幸せよりもコストやら効率などの経済優先を余儀なくされるとしたら、それは自分はやりたいと思えない、、、」
自分は真面目に?仕事をするには、逆に真面目すぎる。
自分はお世話になってばかりだからこそ、人々のお役に立てることがしたいという気持ちが強い。
ただシンプルに、好きな人達(もちろん友人知人などに限定しない、すべての人々対象ね)の笑顔を見るために動きたい!
課題としては、理念が強すぎて収益をまるで無視しているために、農園以外の収益源を考えなくてはならないところかな。
しかしやはり頭にあるのは、、、
誰からもお金(や対価)を取らない、、、そして終には誰からもお金を取られない、、、
あれ?お金って何だっけ?
こんなストーリー展開を目指しているのだが、それの実現はいつかな、フフフ。
「祈り ~サムシング・グレートとの対話~」上映会
この映画は祈りについての科学的解析をしている。
自分は既に体感しているので説明は不要なのだが、体感したことがない人には科学的裏づけがあると助けになると思う。
でも、自分の経験からすると、一番重要なのは裏づけを探したり、求め続けるよりもまずは自分で試してみること!
そのフィードバックの繰り返しで見えてくるものがある。
映画では説明はなかったが、祈りと言うのは実は多くの人にとって難しい。
恐らく、「神様へのお願い」程度に認識している人も多いと思う。
それはそれでいいのだが、もしそのような認識だとすると、「まるで、願いなんてかなえてもらったためしがない!」と失望することになるだろう。
祈りというよりも「心」と考えればもっと楽なのだが、、
映画の中で心を科学的に解明しようとしている研究者の方が、やはり「科学を超えたなにかがある」とおっしゃっていたのが印象に残った。
結局は突き詰めていけば科学も宗教もスピリチュアルもなんでも同じだ。
「我々はどこから生まれたんだろう?」
こんなシンプルな問いから導き出される答えと同じものが、複雑な経路をとって示されるだけだ。
こういう「心」の働きに興味を持っている人は増えているようだ。
そういう人達が自分で心の働きを実感できるような体験をビヨンドでは提供して行きたいな♪
今回の食事会や上映会に参加させていただくことで、またまた暖かい気持ちを持つ人達に出会うことが出来たことに感謝!
呼んでくださったスタッフの皆様ありがとうございました。そしてお疲れ様でした!

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