友人が出家することに!
山梨に来て知り合った友人(Nさん)が出家することになった。
不思議な御縁で知り合いになり、何故か自分と同じ高校の先輩だったりして、、、
Nさんは人生について深く考えていて、「全員が幸せになるんだ!」という気持ちを強く持っている人だった(勿論今でも)。
真理探求にもろに突き進んだ自分の人生体験にも興味を示してくれ、Nさんの家で夜中の二時頃まで二人でお話をしたりしたこともあった。
そんなNさんだから、真理探求への道を進むのは自分にとって不思議ではなかった。
しかし出家することになるとはね~
Nさんはキリスト教だったのだが、仏教の道を選ぶとはなかなか面白い^^
出会ったお師匠さんが良かったんだろうな。
宗教や宗派というくくりに縛られないというのがイイね!
カナダなどでは、自分の得た体験、真理、信仰などを教えようと思う方々が教会を建てようとしているのを見てきた。
しかし私個人的には、日本で伝えるのには『宗教』っぽさは無い方が良いように感じている。
また、宗教というのは儀式的なもの、形式的なものを重んじすぎる感がある。
戒律とかそういうものに縛られるのではなく、もっとシンプルに愛や幸せにフォーカスしたほうが自分は良いと思う。
そうすると『一体感』というものが感じられるようになるし、宗教戦争のような対立などは生まない。
「誰と彼とは違う」とか、比較する必要もなくなる。
ただ、『あぁ、分離なんてものは幻だったんだなぁ、、』と多くの人が感じたとしたら、目の前の世界はガラリと変わる。
そんな想いから、自分は農園というカタチで想いを伝えている。
自分の心の中ではビヨンドは農園というよりも教会なのだけど^^
もし教会にしていたら、恐らく多くの人にとって敷居は高く感じられてしまうと思う。
そして何故か『怪しい?』感じを思われてしまうんじゃないかな。
そういうことがあったとしたら面白くは無いよね。
自分自身、宗教というのに怪しさを感じてしまうことが多かったから、その感じる人の気持は良く分かる。
宗教というカタチは良い面もあるけど、真理探求からすると遠ざかる面も多々ある。
厳粛な雰囲気を出すことで人々がトランスに入りやすいというのは確かにある、、、。
通常と違う意識状態を経験することで、お寺などから俗世間に帰ってからもより落ち着いた気持ちを保ちやすくなるかもしれない。
しかしながら、『お寺のお陰で』自分は高い意識を持てていると感じる場合には、お寺への依存が始まってしまう。
Nさんには、お寺の儀式的なものや、住職さんなどの声など、外部環境は大切にしつつも、それ以上に自分自身の心に従って行って欲しいな。
また、面白いことにNさんとほぼ同時期に出家した若い子(Kちゃん)にもお会いした。
実家がお寺というのもあるようだが、出家することをいい機会に捉えているようだ。
NさんとKちゃんの出家生活が実り多いものとなりますように!(祈)
不思議な御縁で知り合いになり、何故か自分と同じ高校の先輩だったりして、、、
Nさんは人生について深く考えていて、「全員が幸せになるんだ!」という気持ちを強く持っている人だった(勿論今でも)。
真理探求にもろに突き進んだ自分の人生体験にも興味を示してくれ、Nさんの家で夜中の二時頃まで二人でお話をしたりしたこともあった。
そんなNさんだから、真理探求への道を進むのは自分にとって不思議ではなかった。
しかし出家することになるとはね~
Nさんはキリスト教だったのだが、仏教の道を選ぶとはなかなか面白い^^
出会ったお師匠さんが良かったんだろうな。
宗教や宗派というくくりに縛られないというのがイイね!
カナダなどでは、自分の得た体験、真理、信仰などを教えようと思う方々が教会を建てようとしているのを見てきた。
しかし私個人的には、日本で伝えるのには『宗教』っぽさは無い方が良いように感じている。
また、宗教というのは儀式的なもの、形式的なものを重んじすぎる感がある。
戒律とかそういうものに縛られるのではなく、もっとシンプルに愛や幸せにフォーカスしたほうが自分は良いと思う。
そうすると『一体感』というものが感じられるようになるし、宗教戦争のような対立などは生まない。
「誰と彼とは違う」とか、比較する必要もなくなる。
ただ、『あぁ、分離なんてものは幻だったんだなぁ、、』と多くの人が感じたとしたら、目の前の世界はガラリと変わる。
そんな想いから、自分は農園というカタチで想いを伝えている。
自分の心の中ではビヨンドは農園というよりも教会なのだけど^^
もし教会にしていたら、恐らく多くの人にとって敷居は高く感じられてしまうと思う。
そして何故か『怪しい?』感じを思われてしまうんじゃないかな。
そういうことがあったとしたら面白くは無いよね。
自分自身、宗教というのに怪しさを感じてしまうことが多かったから、その感じる人の気持は良く分かる。
宗教というカタチは良い面もあるけど、真理探求からすると遠ざかる面も多々ある。
厳粛な雰囲気を出すことで人々がトランスに入りやすいというのは確かにある、、、。
通常と違う意識状態を経験することで、お寺などから俗世間に帰ってからもより落ち着いた気持ちを保ちやすくなるかもしれない。
しかしながら、『お寺のお陰で』自分は高い意識を持てていると感じる場合には、お寺への依存が始まってしまう。
Nさんには、お寺の儀式的なものや、住職さんなどの声など、外部環境は大切にしつつも、それ以上に自分自身の心に従って行って欲しいな。
また、面白いことにNさんとほぼ同時期に出家した若い子(Kちゃん)にもお会いした。
実家がお寺というのもあるようだが、出家することをいい機会に捉えているようだ。
NさんとKちゃんの出家生活が実り多いものとなりますように!(祈)

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