畑の様子(感謝の念が湧くような世界に)
段々と気温が低くなり、野菜たちはシナっとした感じになってきた。
外側の葉は枯れ始めている。

自然というのは本当に豊かだなぁ。
収穫して間が開くと、その分隣にあった株が大きくなって間を埋める、、、
人が収穫し、食べたとしても十分に養っていけるだけのパワーを感じさせる。

そうは言っても、収穫する時には命を頂いているという気持ちが強い。
だから、必要なときにしか収獲はしていない。
農家の方が今のビヨンドの畑を見たら違和感を感じるのではないかな?
なぜこんなに収穫せずに残っているのか?!
実はたまーにお店に出したりもするのだが、その際に売れ残りが出ることがある。
機会損失をなくすために品数を揃えるのが常識とされているが、野菜が育つのをずっと見てきた自分からすると、非常に虚しい気持ちになるのだ。
ネギの種を蒔き、全く芽が出ないからズッキーニの種を蒔き、育ったと思ったらすべて鹿に食べられ、そののちに蒔いたカブがやっと食べられるものが収穫できた!
そのカブを、「どれを採ろうかなぁ、これは残してあげたいし、これはまだ大きくさせてあげたいし、、、」と悩みながら、「うん、コレ、ちょっとごめんね」という気持ちで収穫している。
「いや~感慨深いな。カブよ、良く育ってくれた^^」
そういう気持ちで売りに出し、売れ残った時の気持ち、、、
これは生産者でなければわからないだろう。
特にビヨンドのように、売るために野菜を育てているのではなく、「皆で幸せになろう!自然はこんなに豊かに支えてくれるんだ!」と伝えるために農園を行っている場合には、その感情は強い。
子供が一生懸命家庭菜園で育てた野菜を直売所に置かせてもらい、売れ残ったとしたら、その子供はどう思うだろう?その親はどう感じるだろう?
自分にはあまり楽しい経験ではなかった。
でも救いなのは、売れ残ったものはすべて自家消費できていることだ。
『せっかくの収穫物は大事にしたい』この気持ちがあるため、積極的にお店には置いていないのだ。
欲しいと言ってくれた方に売る、もしくはお譲りする。その方が格段に幸せを感じる。
ありがたいことに、食べてくれた方からは非常に好評を得ている。
自分は喜んでくれる人にこれらの野菜を届けたい。
その際にお金が問題になったりするのは非常にもったいない。
お金がなくても欲しいと言って頂けるのであれば喜んで提供したい。
しかし、すべての野菜をすべての人に無料で配るという形にはする気はない。
人はお金で物の価値を計ろうする。
無料であれば、「どうせ無料だろ?」と粗末に扱ったりしやすくなる。
値段が高かったら「それ、高いんだからさわっちゃダメよ!」となる。
おんなじ野菜なのに、、、、
お金にとらわれて野菜自身を見て貰えなくなるとしたら、それは自分の望むところではない。
「値段なんて関係ない!ただこの野菜がたべたい^^」そう思っていただければ最高だ!
そんな考えから、値段はダブルスタンダードとしている。
営利目的の方が購入する場合や、遠方からの宅配注文に関しては、自然に則し、手作業で行う農家が生活していける妥当な価格で。
そして、ビヨンドに積極的に関わり、畑に収獲に来てくれる人には無料での配布も可能とする。
お金に少しでも余裕があるかたには会費を払って頂き、野菜は宅配注文の数分の一の会員価格で提供する。
さすがに安すぎるでしょう、、と思ってくれる方、支援したいと思ってくれる方は『善意の箱』にお金を入れていただけると運営上非常に助かる^^
望まれる時だけお売りする。
そんな形でやっていけるといいなぁ。
更に、共に野菜を育てたり、収穫したりすることで、野菜に対する感謝、自然に対する感謝は生まれるだろう。
収穫物を無駄にしたいなどとは思わなくなるだろう。
スーパーで人がやるように、「今日はカレーだからじゃがいもとタマネがを買いましょう」ではなく、畑を見て、「今日はカブとダイコンが美味しそうだから収穫しよう。おでんと浅漬を作ろうっと♪」とスタンスも変わるだろう。
あるものを頂く、旬の野菜を、目の前にあるものを、、、、
ビヨンドに行けば食べ物は得られる。
お金なんて気にしないでいいんだ、、
あのティピーで寝たとしたら、生活も出来てしまうのではないか?
薪もある、野菜もある、寝るところもある、、、自分は生きていけるんだ!
そんな安心感を感じてもらえることが出来るとしたら、それは凄い意義があることだと思う。
「土曜に日帰りで体験に来たつもりが、気づいたら2週間も滞在していた、、、」
そんなことが起こったら!
仕事や、お金、名声などというものから、興味は移っていくだろう。
楽しみ、家族、人生、、、それらについて深く考えるゆとりができるだろう。
そんな農園にしていきたいな^^
外側の葉は枯れ始めている。

自然というのは本当に豊かだなぁ。
収穫して間が開くと、その分隣にあった株が大きくなって間を埋める、、、
人が収穫し、食べたとしても十分に養っていけるだけのパワーを感じさせる。

そうは言っても、収穫する時には命を頂いているという気持ちが強い。
だから、必要なときにしか収獲はしていない。
農家の方が今のビヨンドの畑を見たら違和感を感じるのではないかな?
なぜこんなに収穫せずに残っているのか?!
実はたまーにお店に出したりもするのだが、その際に売れ残りが出ることがある。
機会損失をなくすために品数を揃えるのが常識とされているが、野菜が育つのをずっと見てきた自分からすると、非常に虚しい気持ちになるのだ。
ネギの種を蒔き、全く芽が出ないからズッキーニの種を蒔き、育ったと思ったらすべて鹿に食べられ、そののちに蒔いたカブがやっと食べられるものが収穫できた!
そのカブを、「どれを採ろうかなぁ、これは残してあげたいし、これはまだ大きくさせてあげたいし、、、」と悩みながら、「うん、コレ、ちょっとごめんね」という気持ちで収穫している。
「いや~感慨深いな。カブよ、良く育ってくれた^^」
そういう気持ちで売りに出し、売れ残った時の気持ち、、、
これは生産者でなければわからないだろう。
特にビヨンドのように、売るために野菜を育てているのではなく、「皆で幸せになろう!自然はこんなに豊かに支えてくれるんだ!」と伝えるために農園を行っている場合には、その感情は強い。
子供が一生懸命家庭菜園で育てた野菜を直売所に置かせてもらい、売れ残ったとしたら、その子供はどう思うだろう?その親はどう感じるだろう?
自分にはあまり楽しい経験ではなかった。
でも救いなのは、売れ残ったものはすべて自家消費できていることだ。
『せっかくの収穫物は大事にしたい』この気持ちがあるため、積極的にお店には置いていないのだ。
欲しいと言ってくれた方に売る、もしくはお譲りする。その方が格段に幸せを感じる。
ありがたいことに、食べてくれた方からは非常に好評を得ている。
自分は喜んでくれる人にこれらの野菜を届けたい。
その際にお金が問題になったりするのは非常にもったいない。
お金がなくても欲しいと言って頂けるのであれば喜んで提供したい。
しかし、すべての野菜をすべての人に無料で配るという形にはする気はない。
人はお金で物の価値を計ろうする。
無料であれば、「どうせ無料だろ?」と粗末に扱ったりしやすくなる。
値段が高かったら「それ、高いんだからさわっちゃダメよ!」となる。
おんなじ野菜なのに、、、、
お金にとらわれて野菜自身を見て貰えなくなるとしたら、それは自分の望むところではない。
「値段なんて関係ない!ただこの野菜がたべたい^^」そう思っていただければ最高だ!
そんな考えから、値段はダブルスタンダードとしている。
営利目的の方が購入する場合や、遠方からの宅配注文に関しては、自然に則し、手作業で行う農家が生活していける妥当な価格で。
そして、ビヨンドに積極的に関わり、畑に収獲に来てくれる人には無料での配布も可能とする。
お金に少しでも余裕があるかたには会費を払って頂き、野菜は宅配注文の数分の一の会員価格で提供する。
さすがに安すぎるでしょう、、と思ってくれる方、支援したいと思ってくれる方は『善意の箱』にお金を入れていただけると運営上非常に助かる^^
望まれる時だけお売りする。
そんな形でやっていけるといいなぁ。
更に、共に野菜を育てたり、収穫したりすることで、野菜に対する感謝、自然に対する感謝は生まれるだろう。
収穫物を無駄にしたいなどとは思わなくなるだろう。
スーパーで人がやるように、「今日はカレーだからじゃがいもとタマネがを買いましょう」ではなく、畑を見て、「今日はカブとダイコンが美味しそうだから収穫しよう。おでんと浅漬を作ろうっと♪」とスタンスも変わるだろう。
あるものを頂く、旬の野菜を、目の前にあるものを、、、、
ビヨンドに行けば食べ物は得られる。
お金なんて気にしないでいいんだ、、
あのティピーで寝たとしたら、生活も出来てしまうのではないか?
薪もある、野菜もある、寝るところもある、、、自分は生きていけるんだ!
そんな安心感を感じてもらえることが出来るとしたら、それは凄い意義があることだと思う。
「土曜に日帰りで体験に来たつもりが、気づいたら2週間も滞在していた、、、」
そんなことが起こったら!
仕事や、お金、名声などというものから、興味は移っていくだろう。
楽しみ、家族、人生、、、それらについて深く考えるゆとりができるだろう。
そんな農園にしていきたいな^^
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