やりたいことをやるために支えあおう!
「やりたいことがあるのにそれに先立つお金がない、、、、」
そのようなことは残念ですよね。
友達が山羊を連れて途中途中に農家などに泊めていただきながら山梨から五島列島に行こうとしています。
ただ送るだけならそれほどお金もかからないかもしれませんが、「いろいろな人と繋がりながら送り届けたい」というような気持ちがあるのでしょう。
休暇を取り、2週間かけて行ってくるそうです。
彼は金銭的な不安を抱えながらもプロジェクトを始動させました。
そして、援助を呼びかけています。
ささやかながら、私も寄付させて頂きました。
実は私も彼と同じ気持だからです。
「やりたいことはいっぱいあるけど、自分のマンパワー、お金だけではやり遂げられない」
だけど、自分としては諦めるという選択はしません。そうすると自分の顔が、心が曇るから。
だから素直に人に支援を求めます。そしてその支援には自分流に応えます(野菜や労力の提供、興味がある人には精神世界のお話かな)。
共にプロジェクトを完成させることで、支援者は参加者となり、喜びを分かち合えると思います。
そして、なんらかの勇気などを受け取り、支援者自身が自分の問題解決に一歩を踏み出すことにでもなると非常に嬉しいとおもっています^^
ただ時間的にも経済的にも効率よく野菜を作り、売るだけでは自分としては楽しくありません。
そして、作り手自身が楽しむこともできない野菜を友達や家族、その他の皆様に譲ったりお売りする気にはなりません。
ただ楽しい農園、皆が思わず行きたくなる農園、顔が輝き、笑顔になれる農園を作りたいんです。
その時に、たまたま育ってくれている自然の恵を有難く頂くという形にしたいと思っています。
好きな友達や親戚などを呼び、無料でその恵みを分け与える。
「そんなので生計は成り立つのか?!」
これは多くの人が感じることで、自分でも「そこのところは良くわかりません、、、」と言うのが正直な所です。
でも、こういう一見アホな事は、アホにしかできないと思います。
アホな人が少ない今、自分はアホなままでいたいと思っているのです。
このようや農園作りを支持してくださる方がもしおりましたら、ビヨンドへのご支援、ご連絡をお願い致します。
支援ページはコチラ
さて、支援を求めている人(A)に、これまた支援を求めている人(B)が寄付する。
これはどのようなことでしょうか?
BがAに三千円寄付する。
Aはプロジェクト推進にその三千円を有効利用する。
Bも支援を求めている。
Aはプロジェクト達成後、経済的余裕ができた時にBに三千円寄付する。
このような構図が出来上がったとしたら、三千円がA、B間を行って帰ってきただけでしょうか?
金銭面だけを考えたらそうかもしれません。
でも、実際には全く違うと思います。人間には心があるからです。
Aさんは自分が寄付さていなかったら果たしてBさんに喜んで自ら寄付していたでしょうか?
AさんとBさんの諦めない姿勢や絆を見ていたCさんがいい刺激を得ることはないでしょうか?
一見あまり意味のないようなことでも、楽しかったりワクワクするのであれば、私はそれを実行してみます。
それが不安を超えた状態(Beyond concerns)でいつもいようと思う私の生き方です。
そのようなことは残念ですよね。
友達が山羊を連れて途中途中に農家などに泊めていただきながら山梨から五島列島に行こうとしています。
ただ送るだけならそれほどお金もかからないかもしれませんが、「いろいろな人と繋がりながら送り届けたい」というような気持ちがあるのでしょう。
休暇を取り、2週間かけて行ってくるそうです。
彼は金銭的な不安を抱えながらもプロジェクトを始動させました。
そして、援助を呼びかけています。
ささやかながら、私も寄付させて頂きました。
実は私も彼と同じ気持だからです。
「やりたいことはいっぱいあるけど、自分のマンパワー、お金だけではやり遂げられない」
だけど、自分としては諦めるという選択はしません。そうすると自分の顔が、心が曇るから。
だから素直に人に支援を求めます。そしてその支援には自分流に応えます(野菜や労力の提供、興味がある人には精神世界のお話かな)。
共にプロジェクトを完成させることで、支援者は参加者となり、喜びを分かち合えると思います。
そして、なんらかの勇気などを受け取り、支援者自身が自分の問題解決に一歩を踏み出すことにでもなると非常に嬉しいとおもっています^^
ただ時間的にも経済的にも効率よく野菜を作り、売るだけでは自分としては楽しくありません。
そして、作り手自身が楽しむこともできない野菜を友達や家族、その他の皆様に譲ったりお売りする気にはなりません。
ただ楽しい農園、皆が思わず行きたくなる農園、顔が輝き、笑顔になれる農園を作りたいんです。
その時に、たまたま育ってくれている自然の恵を有難く頂くという形にしたいと思っています。
好きな友達や親戚などを呼び、無料でその恵みを分け与える。
「そんなので生計は成り立つのか?!」
これは多くの人が感じることで、自分でも「そこのところは良くわかりません、、、」と言うのが正直な所です。
でも、こういう一見アホな事は、アホにしかできないと思います。
アホな人が少ない今、自分はアホなままでいたいと思っているのです。
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さて、支援を求めている人(A)に、これまた支援を求めている人(B)が寄付する。
これはどのようなことでしょうか?
BがAに三千円寄付する。
Aはプロジェクト推進にその三千円を有効利用する。
Bも支援を求めている。
Aはプロジェクト達成後、経済的余裕ができた時にBに三千円寄付する。
このような構図が出来上がったとしたら、三千円がA、B間を行って帰ってきただけでしょうか?
金銭面だけを考えたらそうかもしれません。
でも、実際には全く違うと思います。人間には心があるからです。
Aさんは自分が寄付さていなかったら果たしてBさんに喜んで自ら寄付していたでしょうか?
AさんとBさんの諦めない姿勢や絆を見ていたCさんがいい刺激を得ることはないでしょうか?
一見あまり意味のないようなことでも、楽しかったりワクワクするのであれば、私はそれを実行してみます。
それが不安を超えた状態(Beyond concerns)でいつもいようと思う私の生き方です。
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