コミュニケーション(技術なんかではないよ♪)
そしてビヨンドのやり方が家族愛に根ざし、そしてそれに支えられているのが羨ましいとのお言葉。
また、『何かを信じ抜かせるコミュニケーションの技術がある気がします。秘訣があれば教えて頂きたいぐらいですね。』と言って頂いた。
自分を知る人なら私の答えは予測できるだろう。
「秘訣なんて何もない」んだよね。
技術とか、能力とかそんなのでは無いんだ。
ただ心のままに話せばいいだけ♪
自分の好きな事なら何時間も喋れるよね?
それを喋ればいいんじゃないかな。
人は考えて物事を話そうとする。
だから響かないんだ。
「人に悪く思われないように、、」「そつなくこなすにはなんて言うべきだろう?」
良く言えば『大人の気遣い』というものなのだろう。
相手に不快感を与えたくない、気に入ってもらいたい、、、
そういう気持ちに則った愛の行動だ。それ自体は素晴らしいことだと思う。
しかしながら、それにより自分の心を制限したりしていたとしたら、ちょっと寂しいね。
自分は以前、”気づいた”ことがある。
そしてその気付きに対し、疑問や疑念を抱いたこともある。
その後の数年は確証を得るために、自分の人生を用いて実験ばかりしていた。
反証は一度も得られなかった。
支持する出来事は数え切れないほど目の前で起こり、ついには『信念』、『信仰』とも呼ばれるようなものが芽生えた。
逆説的に聞こえるかもしれないが、『信念』が生まれるにはまず信じることが出来なくてはいけないのだ。
この逆説的な性質ゆえに、殆どの人はこの事実には気づかない。
自分が話す際には、この事を伝えたいという気持ちが常に強く心にある。
その気持ちが『何かを信じ抜かせる、、、』と思って頂くことにつながったのだと思う。
今回のようなメッセージを頂きながら、自分の役割を感じている、、
ありがたいことに要望も頂けているので、
『心のワークショップ』をこれからポロポロとやっていこうと思っている。
まずはこんな感じのやつからかな~
・『決意の力(決めた瞬間、世界は変わる。それを体験する)』
・『価値観の推移(年齢や経験により価値観は変わる、それを内観し、更に価値観が変わりえること、そしてそれにより心に平穏が訪れることを知る)』
『思いのままに』
何を考えている?
何で言葉を選ぶのかな?
思いのままに話そうよ
気に入られなくてもいいじゃない?
それで嫌いになるようなのは友達とは言えない
感じ方、捉え方が違ってもいいじゃない?
人が自分の価値観に合わないことを口にする時
まずはあなたが赦してみよう
きっと相手も赦してくれる
そして言葉を選ぶ必要はなくなる
言葉は言霊となり、相手に深く響くんだ
