自分の感覚を無視したらダメだなぁ
自分はいつも自分の感覚を大事にして生きている。
右だ!と周りの人が騒ぎながら移動したとしても、左に行きたいと思ったら左に。
でも、それほど重要でもないかななどと軽く考えてしまうような物事に対しては周囲から影響を受けやすくなってしまうようだ。
先日、曲がってしなっている竹を伐っている時に「あれ、これ切ったら自分の方に吹っ飛んでくるんじゃないか?」と思ったのだが、「まぁいいや。何があってもそれで良し」と無視した。
その竹はかなり長くて太く、倒れかかっていた。そして、倒れかかっていた先が他の竹で見えなかったために、どのような角度に曲がっているかの確認は、竹を避けながら6mくらい進まなくては出来なかった。
簡単に確認できたのならしていたのだが、少し手間がかかるなと思ったのと、これくらい吹っ飛んできても大した問題じゃないだろうと思ってしまったのだ。
実際、伐り倒したらバーンと自分の頬に直撃した。
予想したよりもはるかにスピードが早く、よけきれなかった。というか、もしぼーっとしていたらかなりの致命傷だったかもしれない。
初めから「何が起こってもすべて良し」との覚悟はあったので全く後悔はしていなかったのだが、「やはり、自分の感覚はもっと大事にした方が良かったんだな」とは思った。
そして今日、軽自動車の所有者の名義及びナンバープレートの変更をしに袋井市の軽自動車検査協会まで行ってきた。
割と遠い(片道1時間)ので不備がないように事前に電話で必要書類を確かめた。
言われた必要書類のうち、手元になかったのは所有者の住民票抄本。
自分としては所有者だけでなく、使用者の住民票も必要だったりしないか?となぜか心に浮かんだ。
そして市役所に行き、確認時に言われたのは住民票抄本だったが、私は住民票謄本を請求した。
すると、役所の方が「名義変更なら抄本で大丈夫のはずですよ」とアドバイスしてくれた。
そして、自分もまぁ、2人もそう言ってくれるのならそうなのかなと思って抄本を頂くことにした。
そして実際に笛吹市まで行ったものの、蓋を開けてみるとやはり謄本が必要だった、、、。
新しい所有者および、使用者両方の住民票がいるということなのだ。自分の感覚はあっていた、、、。
思い返してみると、協会の担当者はナンバープレート変更することまで知っていたのに所有者のみの住民票でいいと言っていたのは本当に間違えだったが、市役所の担当者は名義変更のみでナンバープレートの変更まで自分がすることは知らなかったため、別に間違ったことを言ったわけではなかった。
ただ、自分が流されてしまったのだ、、
取り外したナンバープレートを再度つけながら思った。
「またここまで来なくてはならないのか、、、事前確認までしたのに、、、」
そして、すぐにこんな思いが沸き上がってきた。
「これで二回目か。前回の竹で頬を切った時、そして今回。感覚を大事にしろとの再確認だな。」
なんかそう思うと感謝の念が沸き上がってきた。
「今後、何か自分の感覚を無視して行動したら大きな問題になりかねないような出来事が起こるのかもな。
その際に、今の気持ちを忘れるな!と教えてくれていんじゃないかな。」
これまでの人生、このようなメッセージに気づきながらも無視していると、メッセージは激しさを増してくる。
そしていよいよ無視することが出来ないくらいまでメッセージは続く。
そしていつもそのメッセージには意味がある。
今回せっかく気付けたのだから、これからは自分の感覚をもっと大切にしよう^^
右だ!と周りの人が騒ぎながら移動したとしても、左に行きたいと思ったら左に。
でも、それほど重要でもないかななどと軽く考えてしまうような物事に対しては周囲から影響を受けやすくなってしまうようだ。
先日、曲がってしなっている竹を伐っている時に「あれ、これ切ったら自分の方に吹っ飛んでくるんじゃないか?」と思ったのだが、「まぁいいや。何があってもそれで良し」と無視した。
その竹はかなり長くて太く、倒れかかっていた。そして、倒れかかっていた先が他の竹で見えなかったために、どのような角度に曲がっているかの確認は、竹を避けながら6mくらい進まなくては出来なかった。
簡単に確認できたのならしていたのだが、少し手間がかかるなと思ったのと、これくらい吹っ飛んできても大した問題じゃないだろうと思ってしまったのだ。
実際、伐り倒したらバーンと自分の頬に直撃した。
予想したよりもはるかにスピードが早く、よけきれなかった。というか、もしぼーっとしていたらかなりの致命傷だったかもしれない。
初めから「何が起こってもすべて良し」との覚悟はあったので全く後悔はしていなかったのだが、「やはり、自分の感覚はもっと大事にした方が良かったんだな」とは思った。
そして今日、軽自動車の所有者の名義及びナンバープレートの変更をしに袋井市の軽自動車検査協会まで行ってきた。
割と遠い(片道1時間)ので不備がないように事前に電話で必要書類を確かめた。
言われた必要書類のうち、手元になかったのは所有者の住民票抄本。
自分としては所有者だけでなく、使用者の住民票も必要だったりしないか?となぜか心に浮かんだ。
そして市役所に行き、確認時に言われたのは住民票抄本だったが、私は住民票謄本を請求した。
すると、役所の方が「名義変更なら抄本で大丈夫のはずですよ」とアドバイスしてくれた。
そして、自分もまぁ、2人もそう言ってくれるのならそうなのかなと思って抄本を頂くことにした。
そして実際に笛吹市まで行ったものの、蓋を開けてみるとやはり謄本が必要だった、、、。
新しい所有者および、使用者両方の住民票がいるということなのだ。自分の感覚はあっていた、、、。
思い返してみると、協会の担当者はナンバープレート変更することまで知っていたのに所有者のみの住民票でいいと言っていたのは本当に間違えだったが、市役所の担当者は名義変更のみでナンバープレートの変更まで自分がすることは知らなかったため、別に間違ったことを言ったわけではなかった。
ただ、自分が流されてしまったのだ、、
取り外したナンバープレートを再度つけながら思った。
「またここまで来なくてはならないのか、、、事前確認までしたのに、、、」
そして、すぐにこんな思いが沸き上がってきた。
「これで二回目か。前回の竹で頬を切った時、そして今回。感覚を大事にしろとの再確認だな。」
なんかそう思うと感謝の念が沸き上がってきた。
「今後、何か自分の感覚を無視して行動したら大きな問題になりかねないような出来事が起こるのかもな。
その際に、今の気持ちを忘れるな!と教えてくれていんじゃないかな。」
これまでの人生、このようなメッセージに気づきながらも無視していると、メッセージは激しさを増してくる。
そしていよいよ無視することが出来ないくらいまでメッセージは続く。
そしていつもそのメッセージには意味がある。
今回せっかく気付けたのだから、これからは自分の感覚をもっと大切にしよう^^
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